駒場キャンパスの二年間〜君といた夏〜by部では背番号11

第三回 準硬式の亀裂 一年冬〜二年春〜二年夏〜二年秋

冬のオフ。
現在の自分を形作ったといっても過言ではないが、ここで述べるのに適当ではないため、割愛。考えたくもない・・・

一月はヒマ。授業もあまりなく、自主練もあまりせず。
試験開始とともに練習開始・・・勉強はしていたので、試験はまったく問題なし。平均点を80にのせ、そこそこ優等生。毎日一限あったが、よく勉強してた。懐かしい。
一年秋から外野に自主コンバート。最初はまあ楽しかったが、わりとすぐ飽きた。今思えば、なんで一年間外野の練習し続けたのか・・・
うーん、このころには、もはや練習してうまくなって試合に出てやるとかいう気力完全消失。
自己中心的な主将や野球へやる気のない高校野球経験者のレギュラーたちに何が楽しくて自分をアピールするとかいう必要あんのか。とか。アホらしくなった。
一年の最初のころは楽しかった。4年生の先輩が優しかったのもあるし、一年だから、試合に出るとかでないとかもあんま考えなかった。アホみたいに楽しく野球やってた。
冬オフ空けて、アホみたいに楽しく野球やってる自分が本当にアホに思えてきた。
溜まるのは部への不満と自己嫌悪ばかり。
部をやめるっていう選択肢はなかった。練習になれてきて、気分が乗らないときはメニューを軽く流すことを覚えたから、そんな苦しくなかったから。そんなんじゃ絶対上手くなんないし。

練習試合もほとんど出場なし、春リーグもベンチで東大の崩壊を楽しむ繰り返し。それは今もあんま変わらん。
当時の主将がねぇ、、、ひたすら時間のかかる練習の繰り返しで、部員がへとへとのときでも絶対練習軽くするとかしないの。意地になって。主将の器ではなかった。その代がそいつ一人しかいなかったからやむをえなかった。

夏、七帝戦は北海道大学。特に観光とかしなかった。休みなかったし、高2で行ってるし。

夏合宿、前の年と違い天気はまあまあ。ほどよく雨も降り、体力的にやさしい雨だった。練習としては今まで一番効率がよかったと思う。外野も少し上手くなった。バッティングはさっぱり。

合宿後半は、初めてのマネージャーとしての仕事、全日本大学準硬式選手権@水戸の手伝いで離脱。体力的にはよかった。かなり合宿で疲弊してきた時期だったから。
そしてそして、衝撃の体育会集団。人生ではじめての洗礼だった。話が通じない。ノリが違いすぎ。高校野球とS○xと女の話しか出ない。
いやホント、話すことないんだよ・・・
何よりも毎日4時までの宴会が・・・死ぬかと思った。3日連続睡眠4時間。一緒に行っ東大主務の人は平和な部屋で毎日8時間寝たそうだ。。。


日程の都合で、練習試合なしでリーグ戦。野球部としてありえん。無事秋リーグも全敗。ふぅ。
この秋から、マネージャー業として、リーグ戦本部入り。バックネット裏にたまって、カウント表示したりグランド整備したり。試合終わった後ならまだいいのだが、うちの試合がない週もはるか遠くの(埼玉や八王子)球場まで出向いて本部入り。せめて交通費くれよー!!ヽ(`Д´)ノウワァァァァァン



秋リーグでの最大の出来事。
初週の対明治大学(当然ながら一場や西谷はいないw)第二戦、

先発がサブマリン

ブルペンでの投げ込みを見て、決心。
アンダースローへの本格転向。
ちょうど最悪主将が引退して、新しいこと始めやすかった。それまで、ブルペンに入る自信がなかったのかもしれない。とりあえず、テークバックがオーバースロー不可な形だから、もはやサブマリンしか選択肢になかった。と思う。


最初のうちはサイドスローにすらならなかった。それが次第に手の位置が下がるようになり、今は高津(シカゴWS)より少し下ぐらい。目標はあくまでサブマリン。です。
秋の練習試合(?)にも2度登板。フォアボール連発。そりゃそうだ〜そりゃそうだ〜。

冬の練習も終わり、オフ。去年とうって変わって、オフ中は部とのかかわりを断ち切りほぼひきこもり。ダメ人間のユニフォームも作ったな。あれの唯一の後悔は、マーキングをちどりがけすればよかったこと。あぁ。


授業のこととか、ほとんど印象に残っていない。よくも悪くも、準硬式が大学生活の全て・・・

それがのちのち卒業後にどういう意味を持つかわまったくわからん。
卒部まであと一年8ヶ月。それまでに、本物のサブマリンになりたい。大学準硬式野球の思い出として、一生の財産にするために。


いじょ。次に書くのはいつだろう。